雑談の効用(vol.527/2019.8.6)

街の色々なところに都内では

置いてあるフリーペーパー。

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これをもう読み終えたのに

つい家に持ち帰ってしまい

ゴミに出す時に苦笑いをしている。

 

というのは生前母は

これを読むのが好きだったのと

載っている新商品や東京の隠れスポット等、

他愛のない話をごはんを食べながら

母としていたから。

 

そんな母との時間が

いざ無くなってみると

雑談の温かみをひしひしと感じる。

 

今はかろうじて、

仕事で来ている弟と、

ときに友達と、

そして稀に親戚やご近所からの電話で

なんとか確保できている。

 

例えば原爆記念日の今日は弟とさっき

「お母さんは『この日が暑さのピーク。

 あの日も暑かった』って、毎年毎年、

 同じ話を延々としていたね」と。

 

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わかりあえることなんて、

このくらいでいいのかもしれない。

一日に一度自分が本心からお天気の話をして、

それに応えてくれる相手がいれば、

それだけで孤独は遠ざけられるかも。

 

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思えば乳がん患者さんへの

病棟訪問ボランティアをしていた頃も

(↑所属していた会ではもうこの制度は無くなったよう)

何を話そうと気負って行くのでなく、

 患者さんからの話が取り立ててなかったら、

 天気などの日常会話でもいいんですよ

と習ったことは印象的だった。

 

確かに自分が入院中は

とってつけたような慰めを聞くよりも

見舞いの人と雑談をしたほうが

ずっと心が軽くなった。

普段通りにしてもらったほうが

気が楽だった。

外出が少ない入院患者には

見舞い客との会話で外の空気を

感じる程度でも十分に楽しいのだ。

 

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何を言えばよいか事前に考えた話は

心に響かない。

それよりも見直したいのは

日常会話。

それは色々な場面でだと思う。

 

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生命の谷間で役立つのは知識ではなく(vol.526/2019.6.25)

このところ同業者、同世代の方が

突然倒れるということが重なった。

 

そして今朝は懇意にしている方のご主人が

先週緊急入院していたメールが届いた。

 

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そんなことが続いたせいか

自分の入院中に思い出して反芻していた

子供の頃の出来事のことが先ほど甦ってきたので

書き留めておくことに。

 

とはいえすごく個人的な思い出なので

読む人がそれに関して心に沁みるかどうかは?で

「へぇ・・・」程度かも。
(沁みない可能性が大きいな。。。)

 

そんな出来事は3つあって

どれも家で飼っていた動物の話。

 

でもこういうことって実際に遭遇すると

案外心にずっと残るもの。

その時の感触とか色とか音(鳴き声)とか。

 

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私達は知識みたいなものを詰め込むことに

没頭しがちだけど

本当に人生で役立つことって

こういうちょっとした

「自分直接情報」ではないかと思って

備忘録の意味もあって書くことにしたので

よかったらお付き合いを。

↓ ↓ ↓

~~~~~~★~~~~~~

 

一つ目は鶏の話。

弟が幼稚園の頃、縁日でひよこを買ってきてしまい、

それが珍しくちゃんと育ってしまった。

そこで数年間うちの庭には鶏小屋があった。

都内で鶏を飼うのは近所迷惑な話だが幸い文句は来ず、

毎朝生みたての卵の恩恵に預かった。

しかし夏の猛暑には勝てなかったようで

ある朝えさをやりに行ったら

鶏の首が地面に付いて瀕死の状態。

両親はやっと処分出来るということで

私と弟に「庭に穴を掘るように」と言いつけた。

炎天下の中を二人で渋々掘ったが

ふと私は「鶏はきれいな冷たい水が欲しいのでは?」

と思って冷蔵庫から氷水を持ってきて

くちばしに注いでやると驚くほどの量を飲み、

夕方には地面に付いていた首が元に戻り

その後半年くらいその鶏は生き延びていた。

あの時の鶏が寝ころびながら

ピチャピチャと水を飲む音は忘れられない。

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もう一つは犬の話。

父の友人宅で子犬が産まれたとのことで

もらい受けたが大きくなるにつれ

その犬には心臓に欠陥があることがわかってきた。

そしてついにある年の大晦日の夜に瀕死の状態に。

毛布の上で息もしないし脈もないしで、

また庭に穴を。

この時は真冬だったので庭の土は凍っているし、

紅白歌合戦は見たいしだったが

ぐっとこらえてカチンカチンの土に

シャベルを入れた。

やっと掘り終えてジュン(犬の名)の

寝床に行ったら彼はなぜか復活していて

その後2年くらい獣医さんのところには

何度か駆け込んだけどこの世を楽しんでいた。

あの時のシャベルの感触と

犬の艶々した瞳の濡れ具合も忘れられない。

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そして最後は金魚の話。

縁日で掬えた金魚を飼っていたが

ある朝金魚鉢を見たら金魚がいない。

よくよく見たら底に敷いている砂利の中に

埋もれて死んでいた。

魚は死ぬと浮くはずなのに

なぜかうちの金魚は

砂利に頭から刺さって死んでいた。

この時も庭に穴を掘ったが金魚を埋める穴なので

すぐに掘れ死んだ金魚を割りばしに挟んで

土の中に入れた。

土を半分かけたところで

突如ぱ~んと金魚は跳ねて私の頬にぶつかった。

これは本当に驚いた。

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これら3つの出来事を通して

私は生命というものを体験したように思う。

 

鶏も犬も金魚もどうして死んだふり

(ふりというのもおかしいが)を

していたのだろう?

ふりではなくそれぞれが確かに死んでいたが

鶏も犬も金魚も突如息を吹き返した。

 

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「死んだ」と決めてはいけない。

まだまだこの世にやり残したことがあれば

あの動物たちのように

ぱ~んと状況はひっくり返るのだ。

 

ということを子供の時に私は3回思い知らされ

自分のがん治療もそんなふうに思って

やり過ごしたように思う。

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とにもかくにも人も動物も

人生には色んな事がある。

確かに寿命というものはあるが

人生の中のどこかで遭遇した

「生命」に触れる出来事は

生死の谷間を歩く時に

静かな力を持って支えてくれるように思う。

 

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裏を返して受け取ろう(vol.525/2019.5.19)

気づくと前に書いたときから3カ月。

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その間に季節は二つ移り元号も変わり、

このブログの記載システムまでもが

変わっていて。。。。

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これを含めて私は3つのブログを使っている。

仕事のことをアメブロで→ こちら

 

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個人的なことのブログが一番古くて

FC2の初期のものを→ こちら 。

 

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そしてこのココログは

元々メルマガで同タイトル

「がんから教わるワンショットセラピー」で

書いていたけど定期配信は負担になってきて、

それでも「がん」いうキーワードで

何か書いてみたい時に使う、と使い分けているつもり。

 

とはいえもう19年も経つこの病いとの関係では

頻繁に書きたいことはなくなりつつあるが

久しぶりに出来たので更新。

 

裏ブログという感じのこちらですが

今後ともよろしくお願いいたします。

m(__)m

 

 ~~~~~~★~~~~~~

 

少し前にアメブロに書いた「逆説の天使」→ こちら 

はタイトルがセンセーショナルだったせいか、

アクセスが多く、

フェイスブックにも沢山の「いいね」を

つけていただいた。

感謝。

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ついにはあるWEB上のサイト管理者が

「うちで執筆を」という依頼も来たけど

有料なのと

基本的には紙媒体が好きなので

お断りをしたけどありがたいことではあった。

 

そうこうしていたら数日前にこの「逆説の天使」を読んだ

見知らぬがん治療中の方から

「よせばいいのにフラフラと

 ある占い師のところに行きました。

 病気のことは伏せていたのに

 『凶』のようなことを沢山言われ

 落ち込ん帰ってきました。

 そんな私に友人が『逆説の天使』を

 転送してくれてちょっと元気になりました」

というメールを頂いた。

 

裏ブログなんて言っていても

どこかで誰かが読んでくれている、

お役に立っている。

これぞこうしたことの無常の喜び!

 

占いに行ったことは悪いことではなく、

ときには頼ることも大事だし

占いは緩い統計学のようなものだから

人生のバイオリズムを

言い当てていたのかもしれないが

闘病中はちょっとしたことでも

精神的にしんどい時がある。

 

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そこでその方がこれを引き続き

読んでくれていることを願いつつ、

今日は「占い」についての情報を。

 

それはそもそも「占い」とは諸説あるけど

「うら合う」から出来た言葉だということ。

(前にラジオで聞いた情報だけど)

 

つまり「うら」とは「裏」で

かつては心を意味していたそうで

占いとは「裏(心)合い」。

だから誰かの言う運勢を

真に受けるのではなく、

言っていることに裏(心)を合わせる。

 

例えば占い師から

「今は何事も思うに任せない時」

と言われたらちょっとひっくり返して

「今は何事も自分でやろうとしないほうが

 よい時期だ」

とか

「今は色々なことをお任せして

 成長するレッスンタイムだ」とか。

 

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お好み焼きのようにひっくり返してみれば

ネガティブなメッセージも

自己成長の大事なお言葉!

 

と偉そうに書いてるけど

自分も親の介護で大変な時に

神社で人生初の凶を引いてへこんだことも。

→ こちら

苦笑

 

占い師のところに行ってうろたえたり、

おみくじで凶が出て不安になったり。。。。

 

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そういうこと全部が2、3年もすると

必ずや大切な「かけがえのないこと」に。

 

私もメールをくれた人も

これを読んでいるあなたも、

逆説の天使を後ろに従えた旅行者なのだから。

(*^^)v

 

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地球研修を終えたら(vol.524/2019.2.9)

前回書いてから→ こちら
あっという間に月日が経過。

固定オフィスを整理したので
→ こちら
もっと時間が出来るかと思ったけど
新セミナーの準備やら
→ こちら
カードのセットや
認定書の発送作業、
そして家での細々した事などで
時間がさらさらと過ぎている。

さて今朝は少しですが雪景色が広がった。
東京では珍しい明るい灰色の空を見ていたら
化学療法がスタートした初日も
こんな雪の日だったことを思い出し、
連鎖反応のように入院の日々を思い出した。

まず思い出したのは談話室光景。
冬の真っ只中のがんで入院の
患者さんの多くは退屈しまくっていて
談話室はいつも大入り満員で
そこで愚痴をこぼし合っていた。

今と違って19年前の治療スタイルは
入院してがん治療がスタンダード。
特に冬は外出や外泊して
風邪でも引くと大変ということで
病棟に缶詰のことが多く、
お見舞いの人も寒いので
ぐっと訪れる人が減るので
患者さんは暇を持て余していた。

当時はそんな愚痴を言う人達と
同化したら自分の中の
免疫細胞が落ちるような気がして
談話室族とは距離を置いていた私。


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ではどうするかというと
まるで修行僧のように院内を
運動を兼ねて頻繁に歩きまわり、
それがくたびれると
情報収集として手当たり次第に
がん関係の本を取り寄せていたので
ベッドで読書に励んでいた。

(パソコンを当時はもっていなかったので
売店で新聞を買ってその広告に出ているものを
母に頼んで地元の本屋に注文してもらっていた)

そんな中で下記の文章は
心を揺さぶられ日記に書き写していた。

 ”不死にあこがれる人は
  何百万人もいる。

  しかしそういう人たちでも
  雨降りの日曜の昼下がりになると、
  死ぬほど退屈して
  時間を持て余しているのは
  どういうことだろう。”

 ~R・ヴェルツ(ハイデルベルク大学医学部教授):著
  『がんを越えて生きる』(人文書院) より~

私の院内ウォーキングと読書は
これを契機に拍車をかけて行った感じ。


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その後10数年が流れて
無印良品の研修スタイルの本を読んでいて
また上記の文章を思い出した。

というのは無印では3か月間で
一人当たり約200万円の予算で
休暇を社員に与えるそう。
どこの国に行くのか、行って何をするのかは
本人の完全に自由。
滞在するエリアも、
ホテルに住むのか、
アパートを借りるのかさえ
自分で考えて探すという自由さ。

無印良品が既に店舗を開いている
地域を選んでも何のサポートもないし
無印良品とは関係ない企業や
店で働くのも認めているのもユニーク。

ここで「90日もどうしよう・・・?」とか
「あっという間に3カ月が過ぎて何もできなかった」
なんて言っているようでは
世界的企業には入れないのだろう。

完全にこの自主責任主義を謳歌できる人が
入社できるし、
社内で次のステップも用意されているということ。

お金は出しても本部は一切口出ししない、
これが無印良品流のよう。

でも思えば私たち一人一人も
神様(というような存在)から
一日は24時間とか
一年は365日、
平均80年という時間をもらっていて
あとは神様から一切口出し、なし、
(普通の人には神からの声は中々聞こえない)
という意味では同じ。

無印では海外研修中は
経過報告もしなくていいことになっていて
海外で仕事をせずに遊んでいても
本部にはわからないそう。
だからこの研修期間を
活かすも殺すも自分次第。

ただし帰ってきたら、
人材育成委員会で休暇報告をすることが
この研修の本番。


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通常の人の一生も
この世にさよならをして
宇宙に戻った時に本部への報告会が
あるのかも?
(#^.^#)


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なぁ~んて、今日の午前は
ここ東京では珍しい雪を見ていて
ちょっとスケールの大きいことが浮かんだので
覚書も兼ねて書いてみた。

今日から3連休は寒そうだけど
有意義に過ごしたいわね。

※参考
  『無印良品の、人の育て方』(角川書店) 
 (松井忠三氏:著)
   http://amazon.co.jp/o/ASIN/4041015200/winbit-22/

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拍手を再評価(vol.523/2018.12.3)

先月、久しぶりに大船と大阪で
セミナーをしていて→ こちら と こちら

「そういえば」と気がついたのは
「ワンセルフにやってくる人たちは
よく拍手をするなぁ」ということ。

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って、私がそこのスペースに初めてお伺いすると
必ず参加者が発言する時間になると
「聞いたということの意思表示として
拍手をしましょう。
ここでの拍手は
『あなたの言っていることがすごい』ではなく、
聞いたということの合図です」
と言うのだから
当然といえば当然なのだけど。
でもこれを言っておくと
終わりごろには
皆さん気軽に拍手をするようになるし
(個人セッション以外は)
勉強会が進むにつれ
拍手の音が好きになって行く感じがする。

 
ときには初めていらして
自己紹介の声は消え入りそうな方が
帰る頃のシェアではご自身のことを
等身大で良い声で語る姿を見て
私も他の人も心から
「そんなあなたの心の動きを嬉しがってます~」
と伝えるためにただただ拍手をしていたりする。


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そんな光景が私はすごく好きだ。
というかそれを味わいたくて
この仕事を続けているところもある。


そういえば数年前に大きな病院で
研修をしたときは
なかなかこの拍手の文化が根付かず、
回数を要した。


確かにそれは仕方ないことだろう。
だって病院に来る人たちは、
やむにやまれぬ事情でやってくる。
なにかがつらくてやってくる。
そして病院の人たちの医療や看護のおかげで、
つらさや心配がなくなっていくことも多いのだから
本当は病院でも「拍手はあっていい」
と思うのだけど、
やっぱり今の日本では
「ふざけている!」
なぁんて怒る人もいそうだなぁ。
(苦笑)


思えは18年前の自分の乳房摘出手術の後に
「手術はうまくいきましたよ」
パチパチパチパチ、
‥‥なんてことがあったらどうだろ?


私は嬉しいけど
でも今のところそんな病院は
この日本にはないだろう。
ふつうは患者側が
「ありがとうございました」
と頭をさげるのみだ。


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スポーツとか芸能の世界では、
拍手が多いけれど
ほとんどの仕事の現場では
上記の病院以外でも拍手はあまりなさそうだ。

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だから私が
「人のシェアを聞いたら拍手しましょう」と言うと
初めはキョトンというエネルギーが
渦巻くことが多い。


でも「あなたの話を聞き遂げましたよ~!」
とか
それを聞いて「私、喜んでますよーっ!」
と手を叩いて伝えることは
それをされた人々を大抵の場合、
じっくりと気持ちよく暖かくしてくれるものだと
長年やってきて私はしみじみと思う。


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だから本当は今まで拍手が
無意識で禁じられていた場で、
たとえば上記のような病院で拍手って、
本当はよいのになぁとも思う。

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いきなりは難しいから
音を立てないような拍手ってのは、
どうかなぁ?
それと笑顔付きで、
(#^.^#)


あっ、そういえば
フィンドフォーン式拍手は音を立てないで
両方の掌を人に見せてひらひらとふると
行ってきた人から聞いたことがある。

(※フィンドフォーンとは
  イギリスにある非営利の慈善教育団体)


複数の人の掌の白っぽい色がはためいて
部屋が明るくなった感じで
「素敵な光景だった」とその人は言っていた。


どちらにしても
たとえ病院のような場所でも
本当の気持ちでやっていたら、
拍手は成立するのになぁ、とも思う。


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「ありがとう」も
もちろんいいもんだけど、
もひとつ、
陽気な喜びを伝える文化としての
拍手もいいんだよねぇと
2つの出張の余韻を噛みしめつつ思うこの頃。


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大病とは金継ぎ也(vol.522/2018.10.26)

『YOUは何しに日本へ?』(テレビ東京)を
観たことがありますか?


観たことがない人にざっと説明すると
飛行場で外国の方をつかまえて、
それ追っていく番組。


私はこの番組が結構好きで
月曜の夜は家にいたら
これを観るのが楽しみの一つ。


特にこの前に放映の
日本の金継ぎ技術に魅せられた
ポーランドの方の回は特に興味深かった。

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金継ぎ、ご存知?


うちの父は生前になんだかある時から
これが好きになり、
手先がちょっと器用だったので
ハンズで簡単なキットを買ってきて
家の食器を直すのがある時期、趣味だった。


金継ぎをご存知ない方にざっと書くと
お皿の割れたところを「継ぐ」とか
「修理する」技術。


日本の本格的な金継ぎは
(外国にもパテとかで固めるものがある)
漆を硬めて割れた茶碗を塞いで
そこに装飾をほどこして
「かつてあったものよりも、
さらに美しいものを作るので
世界的にすごいレベル。


この金継ぎに傾倒したポーランドの青年が
日本に習いに来るのだけど
それがいかに素晴らしいかを
一生懸命テレビスタッフに語っていて、
その姿が本当に清々しかった。


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ヨーロッパにも金継ぎ技術はあるけど
それは高級なお皿とか陶器対象。
つまり使わないで飾っておくための修理。
でも日本のは違って継いだらまた使う。
彼が熱く語るにはそんな技術、
「世界にない!」のだそう。


驚いたのは粉々に割れたお茶碗が、
割れなかった茶碗よりも金継ぎの後
値段が何十倍にも上がるということ。


その金継ぎで名を売った名器、
それが織部(古田織部)。
この古田綾部さんという人は
金継ぎの傾奇者で
技術を高めるために
自ら茶碗を割ったりもしたそう。
日本の金継ぎは
60から70工程もあって手間がかかり、
割れなかった茶碗よりも値段が上がるのだそう。


そんな金継ぎにほれ込んだ
この青い眼の青年は
7回も会社を倒産させた経験の持ち主。
それで8回目は「もうダメだ・・・」と思った時に
日本の金継ぎを偶然に見て、
金継ぎの意味を英語で読んで、
泣きながら
「俺も金継ぎだー!」と思ったそう。

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そうしたら8回目の事業が当たって
お金を貯めて金継ぎ作品を買いに来るのが
今の彼の楽しみになったそう。
彼は金継ぎを見ると「元気が出る」と言っていた。


そして別れ際に日本のテレビスタッフに
「自分も金継ぎで、
前より高くなってみせる!」と言いながら
背中を見せて帰国して行った。


で、私が思ったのは
「がんという大病も本人次第で金継ぎだ~!」
ということ。


でも何年もふさぎ込んで
人や会社や環境のせいにしている限りは
そうはならないわね。


そして今、この日本という国も
このところ山崩れはあるし、
地震は多いしだけど、
祖先の人たちはこの生きた大地に
しがみついて。
懸命に金継ぎしながら
生きてきたんじゃないかな?

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だから「金継ぎ美」というのは、
この日本人の土地に対する感情と
全く同じ感情を芸術にしたんだと思う。


そう!

割れるものを恐れず!


と、今回は異国の見知らぬ青年から
大変によいエネルギーをもらった感じ。


※この番組の今回の概要は→
こちら

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傷つく時はきちんと傷ついたほうがよい(vol.521/2018.9.8)

前に書いたときから随分日にちがあいてしまった。

それは猛暑だったのもあるし、
事務所を締めて個人事業にするという
変更作業があったのもあるし。
→ こちら

と、ここまでは公けの理由。
(苦笑)

正直にいうと一人になった寂寥感が
じわじわと押し寄せていたからのように思う。

そんな自分を見つけ、受け入れ、
そして日頃から「落ち込んだ時は落ち込むべし」
とクライアントに言ってきたので
自分もそうすることにした今年の夏だった。

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そこで今の自分の気持ちに合う読書をすることにした。
選んだのは毎度おなじみ、
敬愛してやまない村上春樹氏の
『女のいない男たち』(文藝春秋)の再読。

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発刊された当初多くの批評家は
「作者も歳をとったのか」的な見方をしていて
自分も「暗い。。。果てしなく暗い。。。」
としか思えなかったので
一度読んだら本棚の奥に追いやっていた。

しかし今回読んでみて
私なりにこの短編集のコンセプトというか
登場人物に作者が乗せたメッセージが
わかったように思う。

それは
”傷つく時はきちんと傷ついたほうがよい”。

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この『女がいない男たち』はタイトル通り、
女性が男性の元を去っていくお話の数々。
その状況は「色んな事情で」と
主人公たちは思っているけれど、
どうも「そうではない」ということ。

それは自分が傷つくことへの防波堤として
無意識に選んでしまった
ポーカーフェイス的なふるまいによって、
最終的に男たちはより深く傷ついて行くというパターン。
これはある意味ではとても怖いパターンだ。

愛する人が去っていくことのダメージを
最小化しようとして
この物語の男性たちは泣きわめいたり、
物を壊したり等ということを一切しない。
だから紳士的であり、いい人たち。

しかし「このいい人が曲者だ」ということを
6つのお話を通して作者は語りたかったのだと思う。

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さてここで自分の話を少し。

思えば19年前のがん宣告当初は大変にびっくりし
感情が無くなっていたが
当時41歳と若かったので
片胸になって人生を歩むことへの喪失感が
ジワジワと押し寄せてきた。
それをなんとか払拭しようとして
いくつかの心理系セミナーや各種セラピー、
はたまた塾(仏教塾ね)、
最終的には1週間の
聖地巡礼旅行(沖縄)までした。 
→ こちら
これらの力を借りて
なんとかその時必要な汗と涙を流したように感じる。

しかし今回の両親の弔いに関しては
この短編集の主人公たちのように
「これも、まぁ、仕方ないだろう」
と冷静に振る舞ってきた。
(実際は親が80を過ぎたら統計的には当たり前だけど)

そこに少し無理があったのだなと思う。
とはいえ、いきなり切れるのもね。。。

そこで自分にまず出来ることは
今日のように自分の気持ちを
「小分け」にして書いてみること。

あっ、そういえば今回、社会保険から
国民健康保険に移行したのだが
その手続きが全くスムーズにいかず、
問い合わせても
のらりくらりのお役所仕事。

保険が手元にない宙ぶらりんの日々が続き、
そんな時期に運が悪いことに
(というか必然か・・・)
耳の中が傷ついたようで
(耳掃除のしすぎ、、お恥ずかしい)
耳が痛くなってきた。
でも病院に行きたいのに行けず。。。
段々と怒りと悲しみが大きくなり、
一昨日、保険窓口の人に
電話越しに怒鳴ってしまった。
怒鳴りながら涙も出てきた。

でもその後、とってもスッキリし、
手続きも一気に進み耳の治療も出来た。
ホッ。

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私が今回のこのコラムで
自分のちょっと恥ずかしいことを語れたのは
やはり春樹様(大ファンだから「様」(#^.^#))の
作品群の奥深さだと改めて感じる。

ときには怒号や泣き声、大事ね。
ただし、相手に多大な迷惑がかからない程度に。

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夕焼けはお別れサイン(vol.520/2018.7.22)

朝から外出していたがあまりの猛暑に
帰宅したら疲れてちょっとうたた寝した。

その後、ふと誰かに呼ばれたように目が覚めたら
部屋の中がピンク色に染まっていて
慌ててベランダに出たら見事な夕焼けだった。

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そう言えば母はコーラルピンクが好きだった。
本人が自分に似合う色と決めていたのと
(確かに母の肌や髪の毛の色にマッチしていた)
3月生まれで誕生石が珊瑚だったのもある。

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今日の外出は実は母の四十九日法要で
ひと月ちょっとの骨壺保管生活にピリオド日となった。

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これで「私の両親は本当にいなくなったのだ」
という淋しさを慰めてくれるかのような
見事な夕暮れの天体ショーだった。

私は子供の頃、
親が死ぬことが怖くて怖くて仕方なかった。

でも実際に昨年の秋に父、
そして先月に母と見送ってみて
子供の頃の自分に言ってあげたいことは
「そんなに怖いことではないよ」ということ。
多少淋しいことではあるけれど。

死というものは訳が分からず
進んで行くものではなく、
ちゃんと段階をふんでやってくると
つくづく思う。

この感覚のおおもとは
やはり自分のがん体験なので
親の死が先でなく、
自分のがんが先で本当によかったと思う。

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私と両親のがんは教えてくれた。

死は確かに恐ろしかったり
当の本人は苦しかったりするけれど、
でも肉体は苦しんでいたとしても
その中にはもともと
その人が持っている心が生きていて、
最後まで愛を必要な人に向けたり、
受け取ったりできるものなのだということ。

両親の最後のほうの日々は
一見事実だけを並べると
本人たちは辛そうだったし、
私も時間的にも精神的にも大変だったけど、
今思えば今日の夕焼け色のように
穏やかで不思議な輝きに満ちていたとも思う。

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だから今日の輝くばかりの夕焼けは
正にあの世に旅立つ
母のサインだったと思う。

下記の画像は自分のための備忘録おまけ

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今日の法要後の会食は
母と虫の知らせ(?)で4月に行った
最後の思い出レストラン、
浅草ビューホテルの中華に。
→ こちら

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綺麗に盛られて美味しいコース料理だった。
両親の好きだった北京ダックも
思い付きで追加注文し皆、大満足。

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レジリエンスが案外ものを言う(vol.519/2018.7.5)

前回書いたときから
およそひと月でまた家族が一人減った。
→ こちら

というか独り身の自分は本当にひとりになった。
弟はいるが彼は別に所帯を持っているから
とにかく私の感覚ではひとりという感じだ。

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去年までは父がいたので
帰ると何かしらこぼしていたり、
転んですりむいていたり。
用事が増えたとイライラしていたことも
今となってはそれは幸せなイライラだった。
また母の入っている病院ないしは
施設に行くのも結構時間をとられていたが
それも幸せな時間の流れだったとひしひしと思う。

この一ヶ月は自宅のパソコンで
事足りる仕事をすることが多く、
買い物に出なくても備蓄品で
食べるものも足りていて
電話も鳴らない日もあったりして
気づくと誰とも話さない日もあった。
そんな日は人生の谷底に
いるような気がしてくる。
世の中のすべてから置いてきぼりを
くらったような気持ちになったりする。

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それでふと思い出した言葉、
それは「レジリエンス」。
謎めいていて美しい響きでしょ!
(って、英語が堪能な人は即、わかるか:苦笑)

レジリエンス。
これは今年の冬季オリンピック
(ワールドカップが盛り上がって
なんだかすごい昔に感じるけど、今年ね)
で聞いてから調べた言葉で
スポーツ選手の育成には
ここ数年、物凄い「重大なチカラ」
だと言われ始めているそう。

さて肝心のその意味は「復元力」。

復元力というのは
明るい目標に向かって進む時に
人間の体に湧いてくる力を指すそう。

「そう」と連発して書いているけど
下記の二冊の本を読んで参考にした。

『皮膚感覚から生まれる幸福 心身が目覚めるタッチの力』
(春秋社)

9784393365533

『皮膚は「心」を持っていた!』
(青春新書インテリジェンス)

9784413045193

著者はいずれも山口 創氏
(桜美林大学教授、専攻は健康心理学・身体心理学)

著者曰く、このレジリエンスのためには
意義ある目標と「快感体験」、
つまりポジティブな自分にまつわる思い出というのが
支えにならないと「レジリエンス」
(復元力)というものが蘇らないそう。

この復元力はスポーツ選手の場合、
負傷した場合の傷の治り方にも
作用するとのこと。
つまり、傷の治りが早い!

羽生選手を例にとって見てみると
確かに大ケガもされていて、
「よく金獲ったなぁ」と思ったけど
それはこの復元力の賜物だと
いうことができる。

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だからポジティブな思い出を
過去に持っている事というのが
いかに重要か。

このレジリエンスが無い限り、
今のオリンピック級のスポーツマンは
務まらないとも言えるくらい。

とにかく「頑張ったから、あの時は報われた」
という体験が
レジリエンスを巻き起こす大きな要因になるという。

そうしてみると、
今の自分を復元させるのは
やっぱり19年前のがん体験。
あの時は精神的にも肉体的にも大変だったけど、
退院後にパソコンを買って
独学だけど一から勉強したり、
思いつくままに色んな勉強会に行ったり、
ボランティアをしたり。
そうする中で本が出せたり、
新しい仕事の流れや仲間が増えて行った、
あの楽しさ、喜び、達成感。

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そしてもう一つレジリエンスを
巻き起こす条件があるそうで
それは「利他行動」(りたこうどう)。

これは自分のためでなく
他者のために行動すること。
これがないとだめだそうで
山口先生が書いているには祈るだけでも良いそう。

やっぱり自分の幸せばっかりじゃなくて、
手を合わせる機会があったら家族とか、
今苦しんでる地域の人のために祈るとか、
そういうことがそれぞれの中の
「レジリエンス」(復元力、再生力)を強くする手段だそう。

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さらに上に紹介した本の中には
興味深いことが書いてある。

それは著者が心臓病4千人の重篤な人のうち、
過去1年間で200時間ボランティア活動をした人を
調べて行ったら
ボランティアをしなかった人たちよりも
「2年後の再発率がはっきり低い」ということ!
恐るべし、レジリエンス

19年前の自分はそんな言葉や理論を知らなかったけど
がん患者の病棟訪問ボランティアや
あるイベントの立ち上げに
手弁当で関わったりしていた。

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今また時を経てこのことを
胸に刻んで今年の夏を過ごしていこうと思う。

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豊かな老いなんて無い!で、いいのだ(vol.518/2018.5.31)

このところテレビでやたらと元気なご老人が目につき、
それを見るたびにわが親と比べて実はションボリしていた。

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そういえば自分ががん治療真っ只中の時も
「がん生還~年」とか
「手術しないで乳がん克服」とか
「優しいご主人の献身的な付き添いで」
といったキーワードに反応していたなぁ。

さてそんな時は行動、行動。
私の場合は本屋に行って
ぴんと来るものを買うこと。

そこで今回、私のフィルターに
ひっかかったのは下記。

『すごいトシヨリBOOK トシをとると楽しみがふえる』
池内 紀(ドイツ文学者):著(毎日新聞出版)

9784620324586

タイトルに反してパラパラと読むと
文章が辛口でそれが今の私好みだったので即買い。
(#^.^#)

著者の基本スタンスは
「どのような場所でも、
しっかり自分について考えましょうよ、
生きている限りは」というもの。

特に痛快なのは
「老いても『私は尚盛んである』と話す人がいたら
病気だと思って下さい」。
(*^^)v
いいわねぇ~、この切り口。


更に著者曰く
「幾つか褒められて
 それが自分の個性だ、それが才能だ、
 と思っている人がいるかもしれないけど
 十中八九、その方はズレています」。

うんうん、そうだ、そうだ!

って、自分も近い将来、気をつけよう。

【老いる】ということは、
すでにもう賞味期限が切れつつあるわけだから
そういう自分について自覚した方がいいのだと。

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マスコミがこのところヨイショしている
豊かな老い、
心配の無い老後、
大往生、
終活のすすめ、等々。

そんなのがラジオやテレビから流れてきたら、
池内さんは「まずは耳をふさげ」と。

ハイ、そうします!

どうせ良い事はひとつも言わんのだと。
苦笑。。。

「なになにをやれば豊かな老後を送れる」
とか
「なになにさえあれば豊かなんだ」
という
「老いになにかをプラスすることで
老いが克服出来る」
という論法そのものが「もうオカシイ」と。

まぁ、この考え方は賛否両論あると思うので
反対の人はそれはそれで。

でも父の去年の急逝や
今の母の「しんどい、しんどい」と言っている
入院ライフを目の当たりにすると
「とにかくラストは演出できないよ!」
ということだけは肝に銘じないとあかんと思う。
(って、なぜか関西弁になる私。。。)

「それは任せようよ!他の何者かに」
という池内さんの気骨ある考えに大賛成。

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池内氏は最終的に
「自分の老いは自分の手で磨くしかないんだ」
と結論づけている。

老いというものを自分で磨いて、
自分だけの老い、
というものを探しましょうと書いている。

別に老いということではなく、
がんとの共生もこれに尽きるわね。

なんかガツンとカツを入れてもらったような本だった。

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«心に沁みる桃子さんのひとふしひとふし(vol.517/2018.4.25)