彼岸の川べりホテル(vol.545/2024.9.24)
この日記は私にとっては
「日々の記録」ではなく、
「がんにまつわる気づきを
記録しようと思った自分の記録」。
だから書きたい日もあれば
全くできない日があり、
その緩急が私らしいと思っているので
ほぼ半年ぶりの更新。
他の二つのブログは
もう少しまめに書いているので
よかったらそちらも見て下さいませ。
↓
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(仕事のメッセージや告知)
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やっと一昨日あたりから咲き始めた
庭の彼岸花。
過去イチ、遅いんじゃないかな?
庭といっても都の立ち退き計画に備えて
父が昔購入した裏の空き地。
昨日の朝、花の写真を撮った後に
ラジオをつけたら陽水の
「リバーサイドホテル」が流れた。
「今、聞いてもカッコいいよね~」、
と独り言を言いながら、
サビの部分を一緒に歌っていたらハッ!
自分としては一大発見をしたので
よかったらお付き合いを。
↓ ↓ ↓
この「リバーサイドホテル」は
ラジオの人が言うには1982年に出たそうで
初めて耳にしたのは青春真っただ中の頃。
そのせいかこれは若い男女が現実から逃げて
怠惰な愛をホテルでむさぼっている曲、
と思っていた。
しかし今日、これは男女が心中して
救急車で病院をたらい回しにされて、
なんとかたどり着いた病院で死んでしまうが、
二人は三途の川を渡れずにいて、
魂が川のほとりで彷徨っているという曲、
そんなふうに思えてきた。
その根拠は歌詞の中にあって、
バスは救急車、
キスは人工呼吸、
ネオンは病院の看板のネオン、
テレビは心電図のモニター、
ベットの中で魚になった二人は死体、
夜の長さを何度も数えているのは、
成仏してないから。
こういう解釈は
好き嫌いがあると思うけど、
死を忌み嫌っても仕方ないと思う。
嫌がっているうちは、
「あんた、まだまだ、蒼いのね」
と言いたい私。
「みんな必ずいなくなるのだ、
というのが自然の摂理」と
二つのがんを通して噛みしめてるので。
でもそれは悲観的な気持ちからじゃなくて、
「どうせいなくなる同士なんだから、
傷つけあうのはやめて仲良くしようよ」
っていう前向きな思いから。
(↑だから誤解のないように)
いなくなる前に、
それぞれが自分に残された時間を
楽しむことをお互いに尊重しようよ、
といういたって柔らかい気持ちなのだ。
とはいえこんな歌の解釈は
陽水ファンは怒るかな?
でも名曲や名詩には二重の意味や
暗喩が仕込まれているのは
確かなことなのだから。
それに生き生きした言葉を失って、
短くて要件のみの文言こそがよいのだという、
ライン文化の中にどっぷり浸っていたり、
単純な二元論の中で暮らしていると、
陽水が40年前に予言(?)したとおりの、
この歌詞の男女のように
生きているのか死んでいるのか、
わからない人生の中で
快楽だけを追求して生きているのでは?
最近韓国ものをリメイクしたという
「スカイキャッスル」というドラマを
ちらっと見たら気分がどんよりして、
よりそんなことを思う66歳の秋。
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