彼岸の川べりホテル(vol.545/2024.9.24)

この日記は私にとっては
「日々の記録」ではなく、
「がんにまつわる気づきを
記録しようと思った自分の記録」。

だから書きたい日もあれば
全くできない日があり、
その緩急が私らしいと思っているので
ほぼ半年ぶりの更新。

他の二つのブログは
もう少しまめに書いているので
よかったらそちらも見て下さいませ。

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  (仕事のメッセージや告知)


~~~~~~★~~~~~~

やっと一昨日あたりから咲き始めた
庭の彼岸花。


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過去イチ、遅いんじゃないかな?

庭といっても都の立ち退き計画に備えて
父が昔購入した裏の空き地。

昨日の朝、花の写真を撮った後に
ラジオをつけたら陽水の
「リバーサイドホテル」が流れた。

「今、聞いてもカッコいいよね~」、
と独り言を言いながら、
サビの部分を一緒に歌っていたらハッ!

自分としては一大発見をしたので
よかったらお付き合いを。

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↓ ↓ ↓


この「リバーサイドホテル」は
ラジオの人が言うには1982年に出たそうで
初めて耳にしたのは青春真っただ中の頃。

そのせいかこれは若い男女が現実から逃げて
怠惰な愛をホテルでむさぼっている曲、
と思っていた。

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しかし今日、これは男女が心中して
救急車で病院をたらい回しにされて、
なんとかたどり着いた病院で死んでしまうが、
二人は三途の川を渡れずにいて、
魂が川のほとりで彷徨っているという曲、
そんなふうに思えてきた。

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その根拠は歌詞の中にあって、
バスは救急車、
キスは人工呼吸、
ネオンは病院の看板のネオン、
テレビは心電図のモニター、
ベットの中で魚になった二人は死体、
夜の長さを何度も数えているのは、
成仏してないから。

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こういう解釈は
好き嫌いがあると思うけど、
死を忌み嫌っても仕方ないと思う。

嫌がっているうちは、
「あんた、まだまだ、蒼いのね」
と言いたい私。

「みんな必ずいなくなるのだ、
 というのが自然の摂理」
二つのがんを通して噛みしめてるので。

でもそれは悲観的な気持ちからじゃなくて、
「どうせいなくなる同士なんだから、
 傷つけあうのはやめて仲良くしようよ」
っていう前向きな思いから。
(↑だから誤解のないように)

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いなくなる前に、
それぞれが自分に残された時間を
楽しむことをお互いに尊重しようよ、
といういたって柔らかい気持ちなのだ。

とはいえこんな歌の解釈は
陽水ファンは怒るかな?

でも名曲や名詩には二重の意味や
暗喩が仕込まれているのは
確かなことなのだから。

それに生き生きした言葉を失って、
短くて要件のみの文言こそがよいのだという、
ライン文化の中にどっぷり浸っていたり、
単純な二元論の中で暮らしていると、
陽水が40年前に予言(?)したとおりの、
この歌詞の男女のように
生きているのか死んでいるのか、
わからない人生の中で
快楽だけを追求して生きているのでは?


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最近韓国ものをリメイクしたという
「スカイキャッスル」というドラマを
ちらっと見たら気分がどんよりして、
よりそんなことを思う66歳の秋。

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今は底だと思おう(vol.544/2024.4.8)

こちらはブログ名の
「がん」に合うものが湧いた時だけ
書くようにしているので、
またまたお久しぶり。

(↓昨日のご近所の桜。結構散っていた)

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※私のブログは他にも二つ
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(↑都内だけど端っこなので寺が多くて
  写真だけみると風情あり:笑)

~~~~~~★~~~~~~

今日書きたくなったのは
今月の1日に配信した
一言メルマガ「ONEパラダイム」の続き。

バックナンバーはないので
今月号のみHPトップで→ こちら

4月号は何かを患った人に対して』。

内容は結構好きだった若手女性芸人の
Aさんが「鬱は甘えです」
とSNSで発信しているのを
たまたま目にしてびっくりしたので、
何かを患っている人に対しての
スタンスについて。


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私は鬱になったことはないけど、
最初のがんになった
20数年前にある人から
がんは定期検査をしていれば
 初期で見つかったはず」
と面と向かて言われ、
当座はへらへら笑って取り繕ったけど、
後々までこの言葉は魚の骨のように
心に刺さっていたので。

だからこの女芸人さんの投稿を
今、鬱状態の人が読んだら?と思って
メルマガに書いたのだけど
その後も気になって
彼女のSNSを追ってみた。

案の定「専門家でもないのに」
という書き込みでバトルになっていて、
Aさんはそれに対して
ムキになって「交感神経云々」と
にわか知識で応戦していた。

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それを読んだらゲンナリしたので、
もう読まないことにしたけど、
彼女は売れっ子なので
テレビをつけると頻繁に出てくる。
そのためここ数日は
彼女の顔を見るたびに
チャンネルを変えていて、
軽くイライラしていた。

ところで
オリジナルツールである
ワンセルフカードには
「許」というカードがあり、
そこには
「『私たちは同じ人間なのだ』
 と認めること」と書いている。

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※ワンセルフカードとは
 『30の励ましメッセージ』→ こちら 


これは心理学の基本である「投影」
だからこのことをわかっているつもり。

それに自分で作ったカードだし。

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そんなふうに考えて
気持ちを切り替えようとしていた私に
昨日読んだズーニーさんの
4/3付コラムにあった
「人間の底っていう考え方」
とっても新鮮だったので
書いておきたくなった。

1人の人間には
テッペンのようないい所も、
「人間の底」もある。

日ごろ賢そうなことを言っている人が、
口ばっかりだった一面を見たり、
日ごろ、いじめのような行為を
ひどく嫌っている人が、
無自覚にいじめに
等しい行為を人にしていたり、
それが、その人の「人間の底」。

おもいがけず、
人の、とんでもなく醜いところを
見てしまうことがある。

その時、
「自分は相手という人間の
 “底”を見ている」
と、私は解釈するようになった。


※2024年4月3日に配信された
 山田ズーニーさんの
 『大人の小論文教室』からの抜粋

 全文は→ こちら

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なんて素晴らしい着想!

つい人に対してがっかりした時、
「こんな人だと思わなかった」
とか
「人を見る目がなかった」
と思ってしまいがちだけど、
そのかわりに、
「そぅか~、
 てっぺんは大らかだけど、
 底は~なのね」
とか
「てっぺんは気遣いの人だけど、
 底は神経質だったのね」
みたいに人の中にある長所と短所を
てっぺんと底というように考えたら、
心軽くいられるなぁ。
少なくとも私は。

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それにこれにはもう一つの
効用があると思う。

それは
「人にはてっぺんも底もある、
 っていうことを
 自分自身にも当てはめてみよう」
ということ。

そうすると色んな自己嫌悪とか
後悔から救われるのでは?
これも少なくとも私は。
(苦笑)


特に若気の至りや
治療後の精神的な不安定で、
私に対して嫌な気持ちを持った方々、
ほんとごめんなさい~!

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あれは私の底だった、
と思ってもらえるといいなぁ。
懺悔。

 

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ほんのわずかの人に向けてのメッセージ(vol.543/2023.10.18)

すっかりご無沙汰のこちらのブログ。

間隔があいてしまったのは、
昨夏からのがん治療や
薬の副作用も
今年の春からは大分落ち着いて
ここにわざわざ
書くことはないなぁ、
なんて思っていたから。



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かし今日、40代半ばの
読者の方から

「がんなんて関係ない、
 と思って生きてきました。
 
 しかし春の職場の健康診断で
 乳がんが見つかり、
 夏に手術をし、
 秋に化学療法となり、
 今、脱毛が始まってます。

 昨年から色々な兆候があったのに
 甘く考え見過ごしてました。
 
 今まで派遣で
 今年から正社員になったので
 検診も受けていませんでした。

 ですので見つかった時は
 ステージ3c・・・。
  
 今日メールしたのは
 手術した傷跡について。

 情けないのですが
 いまだに自分で見れないのです。
 お風呂に入るのも怖くて。
 
 こんな気持ちになられましたか?
 もしそうなら
 どうやって克服されたのですか?」。




うんうん。

今日はこの方のメールに
返事を書く気持ちで書いてみたので
いつもと異なり「ですます調」です。

でも下記に書くのは私にとって
ある日ふと降りてきたような
(?)メッセージ
解決にも回答にもなってないかも。
(;^_^A

それでもご興味ある方は
読み進めて下さいませ。
m(__)m

~~~~~~★~~~~~~

20数年前と随分昔になりましたが
右胸の全摘手術をして
退院したのは夏でした。

当時テレビで缶コーヒーを
白いビキニ姿の女性が
胸の谷間を見せながら飲むCMが
頻繁に流れていて、
それを見るだけで涙が流れ、
そんなことで泣く自分が情けなくて、
またまた涙をこぼしていました。



ですから当然入浴も
自分の胸を見ることはおろか、
体をこすることも恐ろしく、
息を止めてのお風呂でした。

放射線医に
「体をよく洗うように」と言われ、
帰宅して恐る恐る手術痕を見たら
傷口に垢が溜まってました。
(苦笑)

そんなんですから
私の場合は手術痕が
平気になることはなく、
5年経っても、
10年経っても怖いまま、
時間だけが流れました。

でも当初の恐怖心は
少しずつ薄れて行った
という感じです。
それはよく言われる
「時間薬」というものかもしれません。

そしてある日、通院の帰り道の
楽しみの一つにしている
池袋パルコでの
ウィンドーショッピングをしていたら
ふと思ったのです。

「容姿というのは幻影だ」と。



片方の胸が無くなったという意味で
容姿が変わった自分を受け入れると、
バイブレーション(波動)は
きっと変わるのでは?


これはある意味で
今まで40年間、見慣れてきた容姿から、
新しい生物としての
自分自身を意識するレッスンなのでは。


そうやって生きていくと、
毎朝やって来る
新しいエネルギーが感じられ、
自分が本来持っている力が感じられ、
進んで行けるはず。

そう思ったというか、
そんな気持ちが内側から
沸き上がった勢いに任せて、
パルコで今まで買ったことのないような
柄もののパンツとか、
ベストとか帽子などを
爆買いして帰りました。
(苦笑)

当時は抗がん剤でやせていて、
人生初の7号サイズでしたので
その時に買ったものは
一年くらいで着れなくなりましたが
「容姿は幻影」という言葉は
強烈なメッセージとして
今も残っています。

幻影だからこそ、
一つは振り回されない

もう一つは

幻影だからこそ、
生きているうちに
色んなファッションを

楽しむべし!。


ところで今の私は
去年二度目の乳がんで
今度は左胸を取ったので
今は真っ平な胸。

これはこれで
体にフィットした
Tシャツやニットも着れるので
新しいファッションを楽しんでます。

たかだか服、されど服。

折しも今は秋が深まっている時。

先日の都内散策での
GUとユニクロの
プチプラコーディネートを
フェイスブックに載せたら、
多くの方がいいねをつけて下さり、
感謝です。

何より自分の「心地よさ」を探究し、
それがどんなものでもいいから
もし見つかったら
(洋服だけでなく、
 料理とか朝の習慣とか
 お気に入りの場所とか)
できればそれを周囲に
波及していく気持ちを持つと、
きっと良い日が増えていくのでは!




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老害でなく老益に目を向けよう(vol.541/2023.5.18)

オンラインでの
連続講座の仕事が終わったので、
こちら
こちらのブログを久しぶりに。

このブログは
ワンセルフカードとは異なる
ちょっと硬派な(?)視点を
書いています。



という感じで下書きを
午前に書いて、午後にUPしようとしたら、
市川猿之助さんのご両親の死亡と
ご本人の病院搬送のニュースが
飛び込んできてびっくり。

今日は親の看取りや
老化ということを書いたので、
内容が少しかぶっていて・・・。

猿之助さん自身は意識が朦朧で
緊急搬送だったそう。

発見場所の近くで遺書発見という
ネットニュースも。→ こちら

何があったんでしょう・・・?

努力なさる役者さんと思っていたけど、
舞台って生だし、
梨園の世界は
計り知れないストレスがあったのか?

とにもかくにも
こちらのブログのタイトルに
ご興味あれば読み進めて下さいませ。
m(__)m

~~~~~~★~~~~~~

数か月前にある学者
(自称助教授)さんが
「老人は集団自決を」
と語って世間を騒がせた。

(助教という役職は正式には
 今の日本もアメリカも存在しないので
 (今は准教授と教授)
 彼がなぜこの肩書に固執していたか?、
 メディアもなぜ出演依頼をしていたか?、謎)

この人の論法によると
今この星は80億もの人が住んでいて
ちょっと多すぎるから
「老人は自決を」ということになるよう。



その後彼はメディアに
顔を出さなくなった。
今はどうしているんだろう?
ご自分の発言を
どう思っているんだろう?

このニュースを知った時に
我が頭を真っ先に走ったのは
「自分自身と自分の親に
 自決を促す話をあなたは出来るの?」
という彼への問い。

そんな自分が「がん告知」という
ある意味で死に限りなく近い宣告を
受けたのは41歳だった。

もしこれでジ・エンドだったら、
早すぎる人生の幕切れと焦り、
人生の儚さを痛感し、
気づけば今は還暦を過ぎて数年。




キャンサーサバイバーになって
それまでと己の視点(視線)が
変わったことの一つは
近所で顔を合わせる高齢者に
「よくぞ、ここまで、ご無事で!」
という気持ちが湧くようになったこと。

恥ずかしながらそれまでは
集団自決とは勿論思わないけど、
寿命とか死期とか老化ということに
全く無関心だった。

こうして一度目のがんから
社会復帰した50代の私を
次に待ち受けていたのは
両親の老齢化問題だった。

うちの親は70代まで
溌溂としていたのだけど、
80代になると
急降下の下り坂だった。

父はがん転移とフレイル
(体の衰えと認知力の低下)、
母は80代になっての
進行がんの発症と認知症の進行。

とはいえ付き添いや
自宅介護は約3年だったので
一般的には短いものだと思うけど、
それでも私にとっては
永遠に続くように思えた
2015年から2018年だった。

親をあちらの世に送ってからは
道ですれ違ったり、
電車に乗り合わせるお年寄りに
より一層の愛おしさと
尊敬の念を覚えるようになった。



特に父や母に似た服装、ヘアスタイル、
歩き方の
ご老人を見かけると
その後ろ姿を祈りたくなる。
「元気で長生きしてね」
「幸せでありますように」
という言葉と共に。

世話していた当時は
十分に優しくできなかった
両親への情のようなものを、
道行く見知らぬお年寄りへ
シャワーのように降り注いでみたい
思いに駆られる。

だからあの頭のよい(?)
Nという学者さんの親御さんは
おいくつで、
どんな生活ぶりなんだろう?、
という疑問が噴き出してくるのだ。

彼の意見の根拠の一つは
外国の有名科学雑誌が
毎年発表している
世界終末時計だそう。

確かにそれは昨年ついに
「残り1分30秒」になったのだ。

こんなふうにこの世界は
あまりにも多くの問題を抱えているから
老人の自決を促す発言が
出てくるのかもしれない。

だけどもっと恐れないとならないのは、
こうして人が心を失くすことでは?



もし今よりもっと国力が落ち、
色んな意味でみんなが貧しくなった時に
「生きていくということは
 こういうことだ、割り切ろ」
というタレント(学者?)が
また出てきたとしても
騙されてはいけない。

海の向こうの戦争だけでなく、
今はこういった戦いに
私達は知らず知らずに
巻き込まれているのだと
意識しておく必要があると思う。

肝に銘じておきたいことは、
「今家族がいる人は大切に、

 私のような人間は友達と笑い、
 他人を尊敬し、
 共に生きていく意識を!」だ。

これはどんな時代になっても、
じゃないかな。

今日はいつも以上に
堅苦しい文章で、
それを最後まで読んで下さり、
感謝。



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体は泣いていたみたい(vol.540/2023.4.7)

「頑張った、私」という表現を
SNS等で時々見かけるが、
この言い回しが好きでなくて、
「ふん、自己陶酔しているのね」
と実は今までは冷ややかに見ていた。

しかし昨年の抗がん剤の
副作用で変色し、
ここ数日でグラグラにもなってきた
自分の爪をみると
「よく頑張った、私」という思いが
こみ上げてくる。
(苦笑)

~~~~~~★~~~~~~

夏の終わりから投与した抗がん剤。
それは昨年10月には終わったけど、
その後の副作用は前の時とは
大いに異なるものだった。

それに驚いたり、おののいたり、
時にはふさぎこんだり・・・。
そんなこんなで私の2022年の
秋から冬は過ぎて行った。

今回の副作用を書き出すと、
吐き気、倦怠感、息切れ、動悸、
便秘、下痢、味覚障害、
皮膚の乾燥による切り傷、
口内炎、脱毛、歯茎の出血、鼻血、
手足のしびれ、冷え、微熱、
睡眠障害、顔のしみ、
爪の変色と痛み等など。

このどれも事前に説明を受けたし、
パンフレットに書いてあったけど、
いざなってみると、
20数年前の化学療法とは大いに異なり、
今回は通院なのも相まって、
不安と孤独感は思った以上に大きかった。



特に爪のダメージについては
前は灰色にはなったが痛くはなかった。

しかし今回は紫色になり、
足のほうは真っ黒く変色し、
裸足になると
自分の指でもおぞましいほど。
(だから写真は載せない)

特に一番難儀したのが
足の親指の爪の痛み。
それは投与が終わった晩秋から
日に日に増していき、
正月頃には触ると飛び上がるほどになり、
靴下が当たるのもダメで、
買い物に出かけるどころか、
ゴミ出しだけでも苦行のよう。



骨髄抑制の一種とのことで、
処方してもらった抗生剤を
1か月飲んでもまるで効き目がなく、
さすがにこんなに長いこと
飲んでよいのか?と
(皮膚科医は
 「いいんです」と言ってたけど)
怖ろしくなりやめた。
(;^_^A

ホメオパシーをやっている卒業生に
相談したのが功を奏したのか、
時間が解決したのか、
爪の色は相変わらずドドメ色だけど
2月になると痛みは大分治まり
先月にはほぼ解消。



だからホッとしていたら、
数日前からその大変だった爪の
いくつかに横に亀裂が入り、
グラグラし始めた。

素人の応急処置で
絆創膏を貼ってみたが
その貼り換えがまた大変。

というのもグラグラの爪が
取れそうになるので、
ハサミでゆっくり切って
取り換えていたら、
数日前に手の爪が
ポロリと取れてしまった。

特に痛みは無かったが、
恐る恐る爪が取れた指先を覗き込むと、
剥がれた爪の下側には新しい爪が
ちゃんともう生えてきていた。



じっと見つめたそれはまだ柔らかく、
フニャフニャしていて不恰好で、
まさに「赤ちゃん」

こんな風にダメになった爪の代わりに、
ちゃんとまた新しいのが生えてくるだなんて、
体って意識の気づかぬところで、
いつだって瑞々しく生きているのねぇ。

心とか、過去とか、世の中とか、
そういったもの達とはまるで関係なく、
体は今、未来に向かって、
力強く生きているのねぇ。



やっぱり相当にキツイ薬、
治療だったと昨夏からの
人生二度目の乳がん体験を
しみじみ振り返っている
私の2023年の春。

気まぐれに更新する
このブログを今日も読んで下さり
ありがとうございました。

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「今」じゃないというセンス(vol.539/2023.2.10)

アメブロのほうに先月書いたように
→ こちら
「鎌倉殿ロス」を埋めてくれているのは
日曜夜に放送の
NHK「DOC(ドック) あすへのカルテ」。




『ワンセルフカードの広場』に
ご紹介した名言以外に
もう一つ心に刺さった言葉があったので
忘れないようにこちらのブログに。

今日は前から雪予報だったので
洗濯も食材の買い出しも
無しにしていて時間があったので。


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~~~~~~★~~~~~~

第12話「二度目のチャンス」
列車の脱線事故で
たくさんの患者さんが
運び込まれてくるシーンからスタート。



主人公のアンドレア医師が働く内科でも
急遽負傷者を受け入れることになり、
12年間の記憶を失っている彼にも
特別に許可がおりて
医療スタッフとして対応することに。

次から次に負傷者が運ばれてくるので
ドクター達は疲弊していくが、
医長のマルコの口から出た言葉は
「病院の名誉のためになんとかしろ!」。


そんな彼にアンドレア(ファンティ先生)は
「何のために医者になった?」と問いかけ、
「そんな単純なことじゃない!」
と切れられる。

すると
「ヒポクラテスの時代と同じじゃないかな」
と言ってアンドレアは
下記のようなことを語り始める。




(って、ざっと検索して
 この情報が見つからないので私の記憶で)



”医者がいて、患者がいて
 その間には「死」という
 とんでもないクソ野郎がいる。
 
 今日みたいな日はどうにもできない気がする。

 でも違う、我々がいる。

 それは死に向かって、
 こう言ってやるためだ。

 『今日じゃない』。

 患者の状態がどうであろうと、
 『今日じゃない』
 患者がもうあきらめていようと
 『今日じゃない』

 時には屈することもある。
 だけどそれは個人の問題じゃない。
 
 だからみんなで助け合うべきなんだ。
 どんなに忙しくても。
 どんな人生が患者に待ち受けていても。

 クソ野郎と患者の間に入る、
 それが医者だ。”



普段私は仕事で
「『今』が大事」
とか
「『今』この瞬間が理想通りでないとしても
 味わい、受け入れる必要がある」
というようなことを口にしたり
ブログにも書いている。

実際に下記のような
オリジナルカードもある。



でももう一つ、ファンティ先生のような
考え方もあると痛感。

がん、特に乳がんは
ゆっくり進行するものが多いから。




1回目の乳がん体験の時は
23年前だったので
出回っている情報が少なくて
ある乳がん患者会に入ったら
そこで代表の人や名誉会員の
著名な病院の看護師長さんで
乳がんサバイバーの人が
繰り返し言っていたことの一つは


「乳がんでは死ねません」
 (↑「死にません」でないところが興味深い)

「乳がんそのもので亡くなった人はいません」
 (↑乳がんが原発で
  他の臓器に転移して亡くなることはあるけど)



そう、そうなのだ。
今日、どうのこうのでないのが
がん、特に乳がんの優しいところ。

「今が全て」という考え方に
死角があることを
DOCから改めて思った次第。

このドラマはイタリアの
医師で作家のPierdante Piccioni氏の
実話をもとにした小説に着想を得て
制作されたそう。

だからリアリティがあり、
患者やドクター達の人生が垣間見えて
毎週目が離せない展開。

特にこの第12話の回は
チャンスをつかむ者と無くす者が錯綜して
今まで14回まで終わった中でマイベスト。

私は二度目の乳がんサバイバーとして
昨夏の手術、昨秋の化学療法から
何か異変がないかを
このところ検査したり検診したりの日々。

だから二度目とはいえドキドキだけど、
あちらの世に行くのは
「少なくとも今日じゃない!」

と自分に言ってやることにしよう。

最後まで読んで下さり
ありがとうございました。

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同情されたい私に気づく(vol.538/2022.12.20)

”同情するならカネをくれ”

これは多くの人が知っている
往年のドラマの中のセリフ。

(調べたら1994年だから
 およそ30年も前!
 日テレ系ドラマ
「家なき子」で
 安達祐実扮する
「相沢すず」が発したもの)

でも今日ここで書きたいことは

「カネはいいから、
 同情だけはしてくれ」

という気持ちが私の中に
最近ずっとあったことに
気づいて
のブログ。

 




変なポジティブ思考に
取りつかれた人が読んだら

色々と諭されそうだけど、
あえて書いてみるので
ご興味ある方は、
ただただ読むだけにして
正そうとしないでね。
よろしくです。✋

~~~~~~★~~~~~~

抗がん剤は最終投与から
1か月以上が過ぎたので
副作用は大方収まり、
先週からオンラインでの
勉強会も再開。

そうすると大抵の人は
「よかったですね」、
そして
「おめでとうございます」と言う。

それに対して結構むきになって
「でもね、
 白血球の数値が低いから
 当分人混みには出られなくて・・・」
「筋肉が落ちたので、
 とにかく寒いのよ・・・」
「皮膚が弱くなっているので
 手足の指がぼろぼろで・・・」
というような言葉を返していた。

そのことをちょっと自己観察したら、
(冒頭に書いたように)
「同情されたいんだ」
という気持ちを発見。💡




でも恥ずかしいので隠していた。👤

そうしていたら数日前、
ほぼ日をまとめ読みしていたら、
大泉洋さんと糸井さんの対談の中で
大泉さんは

「僕は同情されたい人間なんですよ。
 褒められるより、大変だね~!
 と、同情される方が嬉しい

ということを臆面もなく
語っているのを読んだら
くすぶっていた気持ちは
いつの間にか晴れていた。

大泉さんは結構変わり者だけど
紅白の司会を3年連続
務めるほどの人気者。
その人気者が
言っているのだからね。

そしてこれはためになる
示唆でもあると思った。

それは例えば大病をした人に
接するご家族とか医療従事者。
あるいは介護職や
年配の親と同居している方々。

えてして人は
「顔色がいいよ」とか
「今日はごはん、食べれて良かったね」
という褒める言葉はかけるけど、
同情の言葉をかける配慮って
あんまりないんじゃないかな?

哀れみの同情は頂けないけど、
共感を含んだ同情、
陰に励ましを含んだ同情は
あってもいいんじゃないかな?

そういう同情が欲しい人、
ケースもあるんじゃないかな?

人は同情すると、
相手の元気を奪ってしまうように
思っているんじゃないかな?

「つらいよね・・・」
「こんなに頑張ってるのにね・・」
「大変だよね・・・」
という同情の言葉が
人の心を潤すことを
私は自分の人生二度目の
がん体験から学んだように思う。✨

社会的にも想定外のことが多く、
色んな局面を見せられた今年。

 

 

きっとこれからも
色んな色を見せてくれる日々を
慈しみながら模索しながら、
残り少なくなった今年を、
そして来年を、
私は私なりの前向きで、
私なりのいい感じで
歩もうと思っている。

「大変でしたね」を欲しがっている、
こんな私ですが
これからもよろしくお願いいたします。

<参考>
文中に書いた大泉さんと糸井さんの対談🎤

大泉:あっ、これもぼくらしいんですけど、
   「元気ですね」
   とか言われるのは嫌いなんです。

糸井:へぇー。

大泉:常にね、同情されていたいんですよ。

糸井:同情を得るということは、
   もう花束を得るみたいなことですね。
   いや、でもそれじゃあお見舞いか。

(中略)

大泉:「ほんと大変ですね、大泉さん」って
    言われていたいんですよね。

糸井:こうやって励ましていけば
   一生働くね、この人は。

詳しくは→ こちら

最後まで読んで下さり
ありがとうございました。

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今一度、頭をアップデートするトンカチを(vol.537/2022.12.03)

毎月1日に配信するメルマガ
『ONEパラダイム』
メルマガといっても
およそ250文字と短いメッセージ。
→ こちら(バックナンバーは無し)

今日のブログタイトルと
メルマガは同じだけど、
書きたいことは別内容なので
読み進めてもらえると幸いです。

~~~~~~★~~~~~~

メルマガのほうは
東洋経済オンラインに載っていた
斎藤幸平先生という、
東京大学の大学院で
総合文化研究科の准教授という方の
コラム→ こちら
に触発された時事ネタ。

これから書くのは
今年の私のメインイベント(苦笑)、
入院日の朝の電車での出来事。
よかったらお付き合いを。
↓ ↓ ↓

~~~~~~★~~~~~~

2022年7月20日、水曜日。

これは人生二度目のがんでの入院日。




事前に病院からはおよそ1週間の入院、
と告げられていたので
着替えなどを詰め込んだ
中型キャリーケースと共に
朝の電車に乗り込んだ私。

平日なので通勤の人で
結構混んでいる車内。


それにコロナ禍とはいえ、
緩和ムードも高まっていて
3年ぶりの夏休みモードにもなっていた。

そうしたら私の隣に立っていた
50代くらいのYシャツを着た
勤め人風のおじさん
(私もおばさんだから
今日はあえてこう呼ぶことに)に
何度かあからさまな舌打ちをされた。
(;^_^A

昔入っていた患者会の
病棟訪問ボランティアでは
同じように入院日に
電車の中でキャリーケースを
蹴られた話を聞いたことがある。
(;´∀`)

 





だから舌打ちくらいは
「まだ、ましか・・・」と言い聞かせ、
「金持ち、喧嘩せず」の精神で
(↑ここでの金持ちは心の金持ちね)
このおじさんのことは無言でやり過ごした。

でもね、、、、
もしこの舌打ちおじさんに
還暦おばさんが口に出して
伝えることが出来たとしたら、
↓ 

「おじさんは通勤電車の中での
 キャリーバッグ、邪魔だったんだよね。

 でもね、、、
 私が今日から泊まるのは
 ホテルじゃなくて病院なんだよ。

 

 これから私が一緒に過ごすのは
 友達じゃなくて、
 乳がんなんだわ。

 そういう世界もあること、
 いつか、おじさんにも
 わかる日が来てほしいな・・・

 

 

歳をとればとるほど、
自分の体験した量が増えて、
そこを基準に物事を判断しておけば、
たいてい間違いは起こらない、
と思い込んでいる人が多い。

でも実は自分が体験したことと、
体験出来ていないことを比べると、
比較にならないほど
体験出来てないことの方が
圧倒的に多いのだということを
心しておけるかどうか?。

これが本当の成熟ではないのかな。

私はこのことを
6歳からの電車通学の中で
学んだと思っている。



というのは小学生だった当時、
満員の車内に
「君~!、何を座っているんだ!
立ちたまえっ!!!」という
怒鳴り声が響いたことがあったのだ。

見ると満員の車内に
白髪で杖を持った老婦人が立っていて、
その前に座っていた若い男性を
そばに立っていた中年男性が
叱りつけていたのだ。
(昭和はこういう勇ましい大人が結構いた。
 今はわが身の危険があるので皆無ね)

するとその座っていた若い男性は
「すみません、
 母が危篤の連絡を受けて
 病院に向かっているところで
 うっかりしていました!」
と言って弾かれたように
立ち上がったのだった。

私はこのとき、大切なことを
知ったと思っている。

大人になってそれをあえて言葉にすると、
一つは
「人は表面では計り知れない
 事情を抱えて生きている」ということ。

もう一つは、
「人が理不尽な行動をしている時は、
 何かしら理由と事情がある」。

とはいえ、これらをよく忘れている。
(-_-;)

だから今夏のこの出来事で
改めて意識していこうと思った次第。

今思えばあの舌打ちおじさんも、
家庭か職場で
ストレス抱えていたのかもね。
(#^.^#)

今後は自分の中の凝り固まった
「常識」をこっぱみじんに
砕いてくれる出来事や情報を、
「アップデートのトンカチ」と名付けて
意識していこう。


今後も「あっ、違っていたかも」
と思ったら自分のプライドは置いて
アップデートし続けることを
恐れずにいたいな。
(^^)/




最後に下記は最近見つけた
今回書いたことと繋がる内容の
義足の男性のブログ。
彼は『利他の心』という言葉で
このことを語っている。
読む余力がある方は是非→ こちら



最後まで読んで下さり
ありがとうございました。

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過剰適応症候群にご用心(vol.536/2022.10.24)

三回目の抗がん剤は後から
じわりじわりときつくて、
アメブロも個人ブログも
facebookもしないまま1週間。。。

今日くらいから少し調子が戻ったので、
最近気づいたことを書いてみたくなって。

よかったらお付き合いくださいませ。

~~~~~~★~~~~~~

かつらは外出時はつけるけど、
家の中では鬱陶しいので
バンダナを巻いて過ごしている。

 




普段は私の二度目の乳がん治療、
という事情を知っているご近所さんと
弟と接するだけなので
それでやりおおせているが
電気屋さんや植木屋さんと応対をすると、
還暦過ぎた女性のバンダナ姿は
やはりちょっと変なよう。
(苦笑)

それは彼らの視線が
私の頭上をぎこちなく泳ぐことで知る。

先日も弟が休みの日に
仕事の機材の修理業者を呼んだけど、
用事があって来れないとのことで、
その対応を頼まれた。

短い時間だろうとたかをくくって
バンダナ姿で玄関に出ると
名刺を出してきたその人の目が
どぎまぎしている。

こういう場合私はあえて元気な声で
「居酒屋でもないのに
 こんな格好ですみませんねぇ。
 私、今がん治療中なのよ」
とサバサバと言うことにしている。

すると相手はやっと合点がいったようで
こわばっていた表情がほどけ
「それは、それは・・・。
 そんな時にすみません」
というような言葉をかけてくれる。

ここで私はその言葉を受け取りつつも
「調子が良い時はどうってことないのよ。
 今日もその調子のよい日だから
 何かわからないことあったら
 遠慮なく呼んでください」
と言うことにしている。

本当に調子が悪い時には
カラ元気を見せるる必要はないけど、
病人らしくふるまうと、
本当に調子が悪くなっていくことを
前のがん治療でよく知っているから
気を付けるようにしている。

そんなことを私に気づかせてくれたのは
ハンス・セリエ博士の本。

※参考
 『生命とストレス』(工作舎 1997)




この人はカナダの生理学者で
ストレス学説の生みの親。

彼は勤務している病院に来る患者が
「病人らしい」ということに
気づいたことからこの研究を始めたそう。

 

病院に来るのだから患者達が
「病人らしい」のは
決まっていることだけれど、
この人のユニークなところは
それを当たり前とせず観察を続けたこと。

内科、外科、整形外科、精神科、
どの科を見ても患者達は
同じように「病人らしい」。

ついに博士は来院する患者達は
例外なく「疲労困憊している」と結論付け、
それを「過剰適応症候群」と命名。

確かに私自身も正直こうした状態に陥りがち。



ましてや
「それはそれは大変ですねぇ・・・」
と社交辞令であっても
優しい言葉をかけられると、
その刹那は心地良くて
「ありがとうございます~・・・T_T」
とがん患者らしく反応しがち。

そしてより病人らしくなっていく、
という悪循環に。

これは22年前のがん治療と、
半年間の入院生活で自分と
他のがん患者さんを見て痛感したこと。

その中で私が見つけたことは
「同情されてそれに乗っかって、
 かわいそうな私、
 という状態は一瞬はよいけど、
 少なくとも私はそこに
 ずっといたいわけじゃない」。

つまり、
「被害者な私を
 ずっと引きずりたいわけじゃない」
ということ。

私がやりたい役は
「自分の人生を楽しむ人」!!。

この言葉を大事に時々、
自分に言ってやることが
私が見つけた抜け道の一つ。

えてして人は「雑に扱われる」や
「攻撃される」ことには敏感で、
回避しようとする自己防衛が働くのに、
「かわいそうな人と同情される」、
このことに関しては、
そこには優しさや心遣いがあるだけに
無防備になりがち。

そして「被害者役」
(=患者役)を引き受けてしまう。

(ここでの被害者とは、
 例えば色々な心労で
 運悪く病気になってしまった私)

 

 

被害者役が
「自分の人生の役割で、本当にいいの?」
と自らに問いかけてみて、
「それは嫌だ!」と、
自分の中の私がもし目を覚ましたら、
自分がやりたい人生を
自分に言ってあげてね。

最後に最近ラジオで聞いた
ジェーン・スーさんが語っていた
映画のセリフが心に残ったのでご紹介。



略奪愛からの不思議な人間関係を描いた
『 マギーズプラン』という映画の中で
夫を略奪された元妻ジョーゼットが
吐いたのは
「はじき出された妻の役はごめんよ!」  

なんとも力強いセリフ。

この役を演じているのは
ジュリアン・ムーアさんらしいから
きっとなかなかの格好良さよね。

被害者役や
がん患者でかわいそうな人という役柄は
自分の人生劇場で私は望んでない配役。

そこでの配役を決めるのは自分だから、
納得できないキャスティングは、
反故にしてよし!、
と自分に言ってやって
人生舞台を展開させましょ。
(^^)/

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マザー・テレサの名言を疑ってみる(vol.535/2022.10.10)

今夏に人生二度目の乳がんを
カミングアウトしたら
→ こちら
それを読んですご~く久しぶりに
(中には15年ぶり位に)
メールやメッセンジャーを
下さる方が数名いらした。




それらをありがたく拝見していて、
この22年の内面の変化を発見したので
書いておきたくなって。

~~~~~★~~~~~~

前は久しぶりに連絡をもらうと
「よかった・・・、
 嫌われてなかったんだ」
と思っていた。

逆に言えば
便りがない、ということは
 何か気に障ることを
 私が言ったのね・・・」
と反省していた。

返信に大丈夫そうな人には
嫌われたかと思った
と書き添えると、
大抵は「そんなわけ、ないですよ~」
とメールが来て胸をなでおろす始末。
(;^ω^)

 

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仕事上のクライアントや参加者には
「すべての人に
 好かれようなんて無理」
なぁんてわかったようなことを
言ってきたくせにね。
言動不一致、極まりなき講師。
(-_-;)

30歳で創業し結構とんがってやってきて、
その無理がたたったのか
ピンクリボン運動もまだなかった
1990年代の最後の年の師走に
41歳で乳がん宣告。

 

そこで思うことが色々あったので、
本やこのブログの題名にしているように
「がんから教わる」日々が始まり今に至る、
これが私のポスト乳がん人生。

 

※上記画像は拙著
 アマゾンユーズドで今も購入可能
 → こちら


とはいえ性格は変わらないから
私のやり方や物言いが
気に入らなくて
去っていく人は勿論今もいる。

でもこの20数年の中で
「久しぶりにブログ
(メルマガ、フェイスブック投稿)を読んで」
と感想を下さったり、
「『いいね』はつけてないけど、
 更新を楽しみにしてます」
というメールを随分頂き、
それらに教えられたことは大いにあった。

そこである時ふと気づいたことは、
どこかで聞いたマザーテレサの名言が
随分と私を支配しているのでは・・・?、
ということ。

それは

”愛の反対は憎しみではなく、無関心”

 




勿論彼女の言っていることは
大事な真理なんだけど、
(前述のように)
私が忘れた頃に連絡を下さる方々の
メールや手紙の文面に滲む
愛ある言葉や暖かい気遣いに
下記のように教えられたように思う。

それは

”人生には
 『優しい無関心』というものもある”


今回二度目の乳がんをブログに書いて、
すぐに連絡をくれたり
中には何かを送ってくれる方もいるけど、
結構親しくしていたけど
何にも言ってこない人もいる。

でも私は前のように焦ったり、
頭の中で一人反省会は
開かなくなっている。

それはこの新たなマサコ名言(←言い過ぎか)
が私を支えているから。

大切な間柄であればあるほど、
互いに信頼しあって、
優しい無関心を発揮し合えたなら、
焦燥やイライラは
ググっと少なくなるのでは?

特に家族がいる方は
その家庭はもっと
居心地のよい場所になるのでは?

友人関係だって、
もっと肩の力を抜いて
ゆる~く繋がれるのでは?

 

 

そして最も大事なことは
「無関心・・・」
なんじゃないってこと!

きっと、
無関心を装っているのっ、お互いに!
(#^.^#)

だから気遣いの仕方、
サポート方法、
愛の表現、
これらは「みんな違ってみんないい」もの。

言うなれば
「優しい無関心の金子みすゞ」状態。

これは「言わずもがな」の
日本人だから通用する
考え方かもしれないし、
一つの捉え方に過ぎないけれど
よかったらこの境地、参考にしてみてね。

そして
「今のマサコさんに、
 一体何てメールしたらいいかわからなくて
 日にちが経って気まずい」
とか
「何か送らないといけないのかな」
なぁんて思っている人がいたら
(いないか?・・・苦笑)
ノープロブレムよ~。
(^^)/

 


そうそう、ワンセルフカード
「愛」もよかったら
今一度反芻してみてね。
(下に敷いているパステル画は
 50代に夢中になって展開した
 和(NAGOMI)アートの生徒さんの作品)

 

今日も最後まで読んで下さり
ありがとうございました。

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«善意に殺される(!?)(vol.534/2022.9.24)