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楯になる健気さ、それが人間の摂理(vol.413/2009.02.24)

母の古くからの知り合いで、
そこの家のご主人が長い間、肺がんを患ってました。
その家からの電話が終わると、決まって母は
「奥さん、元気そうだったわ~。あんだけ元気なら大丈夫だわ」
と言っていました。

私はそのたびに心の中で、ときに口に出して
「表面が元気そうだからって言って、そうとは限らないよ。
元気そうにしているから、なおさら、深い不安と悲しみなんだよ」と
思っていました。

案の定といってはなんですが、
そこの奥さんはご主人が亡くなって1年以上がたちますが
一つも片付けが終わらず、というか、片付けがまるでできず、
道楽者のご主人が残した
膨大な趣味のものの中に埋もれて暮らしているそうです。
あきれた娘さんが今度の春の休みに
長期休暇を取ってごみ出しをするそうです。

母は「あんたの言うとおりだったね~、
なんでわかったの?」と言います。
私は心の中で「だてに半年もがんで相部屋で入院して、
がん患者とその家族の声を聞いてきたわけじゃないよ」
と呟いてます。

入院病棟では明るく快活ながん患者の家族の声をカーテン越しに、
そして談話室にて、
毎日毎日、特に午後はずっと聞いてきました。
もちろん、私の親も弟もそして弟のお嫁さんも
快活な声を出してやってきていました。
ときどき、それを聞いて私は逆に不憫に思ったりしました。
自分のほうが本当は不憫なのかもしれないけど
なんかそんな気がしていました。

がんを患った人の近しい人は不安と憔悴の心とは裏腹に
ふだんより快活になることがあります。
無理にそうしているというより、
それは人間の自然の摂理のような気がします。

人間とは病魔に侵された者を身近に持つと、
その病魔の楯になろうとする健気な心が
無意識に生まれるのだと思います。
それはある意味では死に打ち勝とうとする、
いのちのシステムであるとも思います。

ですから、快活な声を出しているがん患者の家族と出会うと
「ああ、ここにも楯になって、乗り越えようとしている人がいる」
というしんみりした気持ちに私はなります。
楯の役割が終わるとしばらく休息が必要なのだと思います。
冒頭の女性もきっと長い休養期間に入っているのだと思います。

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