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客観性≠冷淡(vol.414/2009.03.08)

近所で胃がんになった女性がいますが、
「母はここ数年うつになったようだ」と、
そこの家の息子さんが打ちあけてくれました。
彼の話ではその胃がんの女性は精神的に落ち込み、
家から一歩も出れなくなったようです。
息子さんはいろいろな家にそれを伝えにいったようで、
ある人がそれを心配して「外は春になってきたよ。
ちょっとは散歩したらいいよ」と言いにいったそうです。
言われたその人は素直に「確かにその通りだ」と思ったようで
昨日は珍しく天気も良いので一人で意を決して散歩に出たら
突如、記憶が混濁して自分の家に帰る方角がわからなくなり、
おまわりさんに保護されて帰ってきたとのこと。

こんなことを聞くたびにつくづく思うことは、
人の経験に干渉、邪魔をしないということの大切さです。
それが病気、痛み、ネガティブな行動、どんなことであれ、
その人の魂が必要な経験なのだと思います。
その人の人生に起きるすべての経験は、
バランスの実現のためにあるのだと
今の私はゆるぎなく感じています。
信じているとかそういうことでなく、そういうもんなんだと
がんと9年共生してきて実感するのです。

感情移入をし、一緒に苦しむことは
精神的、肉体的にお互いに健康的ではなくなります。
私たちができることは「適切な行動が行われますように」という
祈りとポジティブなエネルギー、励ましを送ってあげることだけ。

どんな風に見えても、
その人をよく観察することがまず第一だと思います。
観察者であることは、客観的であることです。
それはどんなに親しい友人、家族にも客観的であること。
これはレッスンだと思います。
客観的な在り方は冷たい、無関心ということではありません。
人をその人のスピード、空間、やり方で
成長させてあげる大事なレッスンなのですから。

ですから迷子になったその人のことも
私はもう少し観察していこうと思います。

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