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「余分」のある言葉(vol.428/2009.11.25)

毎週、水曜は山田ズーニーさんのコラムが
アップされるので楽しみにしています。
毎回、感心しうなずきながら読んでます。
http://www.1101.com/essay/index.html
今週のタイトルは“「余分」のある言葉”。

その中で、彼女がかつて居住していた
ビルの管理人のことを例にしているのですが
一生懸命仕事をし、朝の挨拶をしてくれている
その管理人を下記のように記述しています。

>その人のかけてくれる言葉には、
>なにか「違和感」がある。
>なにか「余分」がある。
>なにか過剰で、ねっとり、胃もたれするような、
>一言で言って「負担」だったのだと、今気づいた。

う~ん、よ~くわかります。

たとえば自分も、入院中そして9年経た今でさえ、
「よくなってきたんでしょ、よかったわね」と早口で、
目をきょろきょろさせながら言われるとき、べたついた
タオルを乗せられた様なそんな思いになります。

ズーニーさん流に言うと、
こういうのが“「余分」のある言葉”。

それを具体的にいうと、ビルの管理人さんの場合では
「こんなに甲斐甲斐しく働いている私をわかって」であり、
私の病状を気遣ってくれる人の場合では
「自分や家族ががんになったらと不安でたまりません」
という想いがくっついているということ。
そしてそれを隠したフリをして相手に伝えても、
受け取るほうは負担になったり違和感を感じる、ということです。

最後にズーニーさんはこのことを、
彼女の小説家の友達との会話を経て2つのポイントでまとめています。

>ひとつは、
>「おたがいの気持ちがつりあっていることが望ましいね」
>もうひとつは、
>「言葉に、それ以上の余分なものをこめてはいけないね」

お見事!
まさにこれは人生のあらゆる場面でのお作法ですね。
友人、子育て、夫婦、カップル、介護、商談、行政、国際平和などなど、
小さいところから大きいところまでに通じる軸だと思いました。

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