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酔狂とは究極のコミットメント(vol.480/2014.04.08)

この前、NHKのEテレ
(いつのころからか教育テレビと言わなくなったらしい)を
何気なく見ていたら「滝の白糸」という
泉鏡花の小説を大学の先生が解説していた。

なんとも古風な小説だが
時間があったのでつい見てしまったのだが
大変に心に沁み入ったので今日はそのことを書いてみたい。
226

物語は水芸の女芸人である滝の白糸が、
ふとしたことから東京帝大法科の貧乏学生を好きになり
卒業させるためにお金を貢ぐというもの。
彼女は彼のために学費を払ってやっていたのだが
あるもめごとに巻き込まれ殺人を犯してしまう。
その法廷にはかつて貢いでいたその学生が
判事となって判事団の末席に座っている。
しかし世間にはそのことを明かさないまま裁判は進んでいく。

彼女は裁判の中で
「おかみさんにしてもらおうなどとは思ってもいませんよ」と言うと
判事長から
「ではなぜ芸人風情が300円もの大金を貢いだのか」
と問われる。

そこで白糸は
「だから申したじゃありませんか。
それは私の酔狂だったんですよ」
と渾身の言葉を放つ。

かつてはこれを舞台で水谷八重子さんが
素晴らしい声で言っていたらしい。
想像するだけで鳥肌が立つほどの緊迫感。
命を賭けた酔狂。

ここでふと自分は
コミット(コミットメント)という言葉を思い出した。
自分のセミナーの中では
「なかなか日本語になりにくい言葉。
やるといったことをやる、というニュアンス」と伝えてきた。

しかし泉鏡花のこの小説の中に出てくる「酔狂」は
命がけのコミット、究極のコミットメントだ。

酔狂は辞書の意味だと
「好奇心からの物好きな行動」というような意味になってしまうが、
本来はここにあるように
誰から命令されるものでもなく、
自分が選んで、自分の責任において、
誰をも悪者にしないで行動することを
かつての江戸時代、明治時代の庶民たちは
こんな言葉にしていたのだろう。

そしてテレビの中の先生は
「酔狂のある人は今、極めて少なくなった。
しかし親が子を育てるのもある意味では酔狂。
また会社経営も政治もこの白糸のような
崖っぷちでの酔狂のスピリットが必要」とも仰っていた。

僭越だけど自分もこうして会社を25年、続けてきたのも、
酔狂精神のほんのわずかが出てきたからこそ
続いているのだとも思う。

しかし創業して7年くらいたった時には
「あのままジャスコ(現イオン)の本部にいれば
安定した給料とボーナスがあったのに、、、」と思いながら、
ずるずると仕事をしていた。
そしてその数年後にがんになった。

退院した時に「できるところまでやってみよう。
お金はあの世に持って行けないのだし。
来年、この世にいるとは限らないし」と思った時から
もう一度、色々な勉強にお金を費やしたり、
会社の事務所でいらないものを一気に捨てて
(例えばダイニングテーブルを2個も捨てた。。。)
そこからスタートした気がする。

いつでも「これは私の酔狂でやっている」と
堂々と言えるか、言えないか、
ここが大きな人生の分かれ道なのだと
改めて思った。

酔狂。

噛みしめてみると、なんと美しい音韻。
おまじないのように時々、口に出していこう。

よかったらこれを読んでいる読者の方も。

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