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誰も責めなくてよい世界へ(vol.514/2018.1.19)

大きな本屋に行くと日頃アマゾンが勝手に
私の趣向性からデータ化したものと違う本と
遭遇出来る楽しみがあるので
時々行くことにしている。

そんなふうにして出会ってしまったのが
『中動態の世界』國分功一郎
(高崎経済大学準教授):著
医学書院。

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哲学者の書いたものは
完読できないことが殆どなのにふら~っと購入。
結果は案の定。。。。
まだ読み終えれず。

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なので今の段階で解読できたことからなのだけど
本書の考え方にある意味で救われたので
気づいたことを書いてみたいと思う。

まずこの謎めいたタイトルを説明すると、
行為を表現する言語の古くて新しいジャンル。
というのは「する」と「される」、
すなわち能動態と受動態の二つしか
行為を表す言葉はないと多くの人が思っている。
しかし昔は行為の複雑さそのものを表現する
「中動態」という領域があったというのだ。

しかしいつの頃からかこの考え方が失われ
能動か受動かのどちらかで
行為の全てが表現されるようになり、
行為が誰の意思によるものか、
そしてそれに付随する責任が問われる思考方法に
変わって行ったというのだ。

確かに子供の頃から私達は誰がそれをしたのか、
自発的に(能動的に)そうしたのか、
それともそうさせられたのか(受動的に)、
を問われてきた。
そして後者は無責任だから改善しよう、
と迫られて大人になっていったように思う。

少なくとも私はこうした能動と受動の
二項対立的な思考に身も心も支配されてきたように思う。

41歳でがんになったのもがん家系だからとか、
添加物いっぱいの食品の被害を被った、
という受動的な態度では乗り越えられない!、
医者任せはもっとだめだ!、
だからまずは自分がこの病を作り出した、
というところからスタートして
今後の人生をどうしていくかを
積極的に取り組むことが大事だと思って
私なりに格闘してきたように思う。
勿論こうして生き延びてきたのだから
それはそれで功を奏したとも思う。

中にはしたり顔で
「がんは自分が作りだしたものだから
あなたがしっかり意思を持てば必ず克服できる!」
と励まして(?)くれた人々もいた。
「そうだ」と思いつつ、
「がんになってないアンタに言われたくないよ」と
心の中でつぶやいたりしながら
この病と共に生きてきたように思う。

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そして還暦の峠が見えてきたここ最近、
受け身だけでは勿論ダメだけど、
がんになったのは全て私の責任なのか?、
本当に私の中で作り出したものなのか?
と思ったり、
少なくともがん宣告を受け今奮闘している人に
そんなことを軽々しく言えるのか?、、、
と思ったりしていた矢先に
この本を読み合点がいったという感じがする。

がん治療に限らず日常は
二項対立には収まらない複雑な要素の
相互作用で溢れかえっている。

たとえばそれはリストラとか、
志望校(会社)に入れないとか、介護とか。

著者は「謝る」「仲直りをする」を例に
下記のサイトででこれを説明している。
→ こちら

今私が仕事をほぼ休止しているのも
「親のことでいろいろあって・・・」としか言いようがない。
しかし研修やセミナー事業を行う会社を運営している自分が
今の宙ぶらりんな状態を明確に説明できないのは
無責任な人間のように思えて後ろめたさを時折感じつつ、
「そもそもなんでそうを感じないといけないのか」
と思ったりしていた。
しかしそれを明確に説明する言葉が見つからずにいた。
そんなところに本書と出会い、ほっとしたのだ。

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中動態という思考がもう少し広まって行ったら、
自分も他人も責めないで生きられる世界が
拡がっていくように思う。

少なくとも「私が悪いのか、否か」の呪縛から
解き放たれる人が増えたらと思う。
非自発的な選択肢に
後ろめたさを感じる人が減ることを祈りつつ、
再読してもう少し理解を深めようと思っている。

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