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2020年12月

今ならきっと(vol.530/2020.12.18)

裏ブログと呼んでいるほど
更新がたまにの日記だけど
今日は私のがん宣告記念日なので
ある参加者との握手の思い出を
書いておきたいと思う。






それは私ががんになる前の
30半ばの頃のこと。

握手の相手はサリドマイドを
幼い頃に患ったことがある男性で
長丁場のコミュニケーションコースに
生徒として来てくれた。

彼はいつもスーツをきちんと着て
手首から先がないほうの手は
背広の下に隠して通っていた。
しかし最終日の帰り際、
その手首がないほうの手を出して
私に握手を求めてきた。



光の世界しか知らない当時の私は
引きつった笑顔でその握手に
ぎこちなく応えた。
彼の手首の先の皮膚は尖って硬く、
予想通り指はすべてなかった。
その後その人は他のメニューには
一つも参加しなかった。

あれから四半世紀以上が経ち思うことがある。
それは
「今だったらちゃんと握手できるのになぁ」。

箇所こそ違えど片方の胸がない自分は
「君と仲間だよ」という親愛の思いを込めて
彼の手を握ることが出来るはず。





私の病状は宣告を受けた時に
進んでいたのと
20年前の乳がん手術は
今の全摘手術とは違って
文字通りがっぽり取るものだった。

だからお風呂に入るときは
片胸がばっさりと無い自分と向き合って
20年だからさすがに慣れた。

さてここまで書いて思うことは
人間って、生まれた時から今日まで
ずーっと長い距離を歩き続けていて
その道の途中で目に見えない心の中のドアを
いっぱいくぐり抜けていくのだということ。



退院直後の自分はがむしゃらになって
いろんな本を読み漁り、
勉強会に通い、
普及し始めたパソコンも覚え、
それはまさに心のドアを開いていくような
体験の連続だった。

そうそう、
自分の術後の胸を初めて見た時も
ひとつ新しいドアが開いたと思う。

6年ほど通った乳がん患者さんへの
病棟訪問ボランティアでは
「傷口を一人で見るのが怖いので
今一緒に見てほしい」と頼まれ
反射的に笑顔で頷いたこともあった。
この体験も「体と心に傷を負った人には
手を差し伸べていいのだ」
という気づきのドアが開いたように思う。

こうしたドアはいつだって、
相手がいて初めて開くドアだけど、
がんを通して開けるようになったとも言える。

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そんな意味で私のがん体験は
これからも色んなドアを開けていく
鍵のようなものなのだと改めて思う。
だからやっぱり必要な体験だったと思う、
21年目の夜。

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